若きAV監督の不思議な思い出

いまでも思い出す不思議な体験がある。
今から20年近く前だろうか。AV監督になって5年ほど経った頃。

その頃の自分はスワッピングやらゲリラ撮影など企画性のある仕事に興味をもち、積極的に撮影していた。可愛い女優さんには目を向けず、自分が撮りたいのは面白いと思えるものばかり。容姿は悪くても面白そうなら採用した。

その頃の作品に『嫁売新聞』(V&R)というものがある。すごいタイトルだが、内容はなんのこっちゃない、スワッピング(恋人交換)ビデオである。スワッピングビデオは当時もあったが、自分はリアリティを出そうと、あちこちのスポットで本物のスワッピングマニアを見つけてきては出演してもらっていた。

そんなある日、知り合いのエロ雑誌のライターに声をかけられた。
「スワッピングに興味のあるご夫婦がいるけど紹介したい」

それは是非ということで、会いに行くことになった。「電車に乗ってちょっと」ということだったが、2時間くらい在来線に乗っていただろうか。群馬の方まで行ったような気がする。奇妙だったのは、どこに行くのか同行のライターさんに聞いても曖昧にごまかすだけで、教えてくれないのだ。なぜ教えてくれなかったのか今でも分からない。ただその不可思議さが、この記憶を余計に印象づけていると思う。

小さな駅で下車し、目的地に到着した。よく覚えていないが、レストランのようなところだった。待っていたのはきちっとした格好の4,50代の夫婦。その店のオーナーだったように思う。

ご夫婦はスワッピング(この場合は夫婦交換)に興味を持ち始めたらしい。自分は、ご夫婦あるいは奥さん単独でAV出演に興味があるのかと思っていた。(なにせライター氏はなにも教えてくれないのだ)

しかし話は違った。妻とセックスしてくれないかとご主人に頼まれる。「僕がですか?!。みなさんの目の前でですか?」話の展開に20代の自分はびっくり。現在なら「では有り難く頂戴致します」とこっそりバイアグラでも飲みながら余裕を演じてみせるのだが、当時まだ若造だった自分は悪戦苦闘しながらHした記憶がある。ちゃんとできたかどうかは覚えていない。

結局、そのご夫婦はAV出演することなくそれきりとなった。また、そのライターさんともお付き合いがそのまま自然消滅し、それが最後になった。

大人の世界に連れて行かれて、とりあえず経験だけはしておけ、みたいな気分だった。
なぜだか分からないが、不思議な思い出としてたまに思い出すのです。

嫁売新聞
  • 掲載画像はリニューアル時に編集者が追加

この記事を書いた人

A.T.のアバター A.T. 監督・プロデューサー

たかつき あきら 1982年中央大学文学部卒
宇宙企画の制作、ピンク映画の監督等を経て、制作会社4D(フォーディー)に入社し風俗情報AV等を制作。その後、共同経営でカンノン・シネマワークスを立ち上げリアルなエロを引き出す淫乱系ドキュメント派監督として知られる様になる。共同経営者が病気で倒れたため、シネマユニット・ガス(通称GAS)を設立。セルビデオ転換期に「爆乳」を主軸とした作品群をリリースし、爆乳系監督の第一人者となる。