自伝– tag –
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若きAV監督の不思議な思い出
いまでも思い出す不思議な体験がある。今から20年近く前だろうか。AV監督になって5年ほど経った頃。 その頃の自分はスワッピングやらゲリラ撮影など企画性のある仕事に興味をもち、積極的に撮影していた。可愛い女優さんには目を向けず、自分が撮りたいの... -
ファミレスで
自宅からちょっと離れたところにあるファミレスに一人入った。午前中でお客さんはそんなにいない。隣には30代の夫婦が座っていた。ウエイトレスは忙しく立ち働いている。実は食事のために入ったのではない。ここで働く女の子が目当てだった。 若いときから... -
いまでも思い出す20数年前の瞬間
いまから20数年前のこと。大学を卒業した自分がAV業界に就職した瞬間の記憶があります。大学時代からいろいろな映像の仕事を経験し、その中で一番面白かったのがAVだった、というのは以前も書きました。 当初自分がお付き合いをした会社は宇宙企画という、... -
20周年 PART5 バブル終焉
バブルが終焉します。不景気に強いと言われるAV業界もしばらくすると本格的な不況がやってきます。「GASは面白いから仕事したいんですけど・・」とプロデューサーに言われながら、営業しても仕事が入らなくなってきます。 流通ではレンタルビデオが衰退し... -
20周年 PART4 バブル時代
1988年4月、シネマユニットガスを設立しました。ソウルオリンピックが開催された年です。バブルの勢いがでてきた頃で、仕事はたくさんありました。 AV業界のバブルはどういう感じだったのでしょうか。第一次AVブームがわき上がり、レンタル店があっという... -
20周年 PART3 会社設立、しかし閉鎖へ
AV制作下請け会社(4D)を退社したのは1985年、26歳のときでした。 社員監督としてほぼ毎月一本の割合で監督させていただいてたので監督20本程度のキャリアになっていました。その後のことはなにも考えていませんでしたが、AVを辞めようとは思いませんでし... -
20周年 PART2 監督デビュー
大学を卒業後、いくかのAV撮影現場を経験しました。当時売れっ子の八神康子さん(隣のお姉さんシリーズ)の撮影にも呼ばれました。ボルドーという新規AVメーカーでした。内容は今でいうVシネみたいなもので、ピンク映画の延長でした。このシリーズは売れま... -
20周年 PART1 AV創世記
シネマユニット・ガスが20周年を迎えます。わたくし、高槻彰がAV業界に入った年が1983年になります。本日ここまで仕事を続けることができている感謝を込めて、ここまでの足跡をたどってみようと思います。 AV業界との出会いは1982年になります。当時、大学... -
撮影という仕事の原点
AV監督になって20数年経ちます。こんなに長く続くと思っていませんでした。自分がAVに向いているかどうかは今でもわかりませんが、どうして監督になったのでしょうか。 1980年代前半、わたしは大学生でした。映像の仕事につこうと思っていたので、大学の映...
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