謝罪

他人(の心)を傷つけてしまったら謝らないといけません。
謝罪はとても大変なことです。

オウム事件の一つ、地下鉄サリン事件で実行犯の一人、元医師の 林郁夫がいる。オウムに入信し、組織内でマインドコントロールにかかり、地下鉄車内でサリンを散布し何人もの死者を出してしまった、その実行者である。逮捕された後に、彼の書いた長文の謝罪文が月刊誌に掲載されました。謝罪し、贖罪する彼の気持ちの真実がそこにはありました。

上手なだけの文章なら、人々の心に響きません。行間から溢れる謝罪贖罪の気持ちが伝わるからこそ、その文章が真実になりえるのです。真実に触れたときに人は感動します。自分はそれを読み、涙が溢れたのを思い出します。

他の実行犯の判決が死刑ばかりなのに、彼だけが無期懲役になりました。何人も殺害した被告でしたが、検察は林被告には死刑を求刑しませんでした。

捜査に協力的な点や、公判の中で遺族・被害者側が改悛の情があるとして必ずしも死刑を求めなかったこと、サリン散布の実行犯であることを捜査側が関知していない段階で自ら告白した点、罪の呵責に喘いでいる点などを考慮し、検察は林の全面自供により地下鉄サリン事件の全容が明らかになったことが自首に相当するとの判断を下し、(中略)無差別大量殺人事件の実行犯に対し検察側が自発的に求刑を軽減するのは極めて異例のことである。

Wikipedia より

真摯な気持ちなら伝わるのです。逆にいうと真摯な謝罪しか伝わりません。

足利事件の冤罪被害者となった菅谷さんは17年間の服役後、栃木県警本部長に謝罪されました。「許す気になった」と、菅谷さんには本部長の気持ちは伝わったようです。

逆の例が殺人犯・酒鬼薔薇聖斗の母親でした。酒鬼薔薇事件の概要は言うに及びませんが、母親が書いた手記本『「少年A」この子を生んで』 がありました。被害者への賠償に役立てるために出版に踏み切ったのでした。殺してしまった子供へのお詫び、どうしてそうなったのか、自分の躾に問題があったのか、などが書かれておりました。その事件への戸惑いに終始していたように思います。

「少年A」 この子を生んで……

その本を読み釈然としない気持ちになった。林郁夫のように人生をかけて謝罪し、贖罪する気持ちが伝わることはなかった。
子供が犯した事件に親が責任をとるのは、ある意味可哀そうだという同情もありますが、しかし被告は未成年ですから、社会的な責任を親がとるのは仕方ないことでしょう。酒鬼薔薇聖斗の両親は事件発覚後、被害者への謝罪に行ったのは、警察に促されてからだったし、酒鬼薔薇の両親にはなにか大切なものが欠落しているように思えてなりません。

自分も謝罪経験があります。自分が撮影した女優をプライベートで口説いたことがありました。口説いたと言っても、映画を一回観に行っただけで、何事もなかったのですが。

その女優とのプライベートの実話を馬鹿正直に映像(AV)化したことがありました。その女優は当人に演じてもらい、監督役名を「わかつき」とかして。なんで自ら浮気をばらすようなことをしたかというと、その当時はなにを撮っても許される時代で、私小説みたいなAVを作っては遊んでいたのです。そのビデオを妻に観られてしまったのです。

それとは別の作品でその女優と絡んだ(本番した)こともばれてしまいました。もちろん妻には怒られました。「仕事のためにしている」「プライベートを曝け出す仕事」などの言い訳はまったく見透かされてしまうだけです。もう何日間も同じ話ばかり。妻は誤魔化して適当にするのが大嫌いな性格で、自分が納得するまでとことん話します。

結局、長い時間の話し合いにも応じ、その女優さんとは個人的には何事もなく、また自分が馬鹿正直にすべてを曝け出して映像化しているのが幸いしたのかもしれません。まあ言ってみれば、自首みたいなものなのですから。

その撮影を下請けした出た利益全額を、慈善事業に寄付することでようやく修復ができました。一度信頼が崩れると、それを立て直すのに倍の時間と労力がかかるのよ、という妻の言葉は身に沁みています。罪を悔いあらため謝罪するのは大変なのです。

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この記事を書いた人

A.T.のアバター A.T. 監督・プロデューサー

たかつき あきら 1982年中央大学文学部卒
宇宙企画の制作、ピンク映画の監督等を経て、制作会社4D(フォーディー)に入社し風俗情報AV等を制作。その後、共同経営でカンノン・シネマワークスを立ち上げリアルなエロを引き出す淫乱系ドキュメント派監督として知られる様になる。共同経営者が病気で倒れたため、シネマユニット・ガス(通称GAS)を設立。セルビデオ転換期に「爆乳」を主軸とした作品群をリリースし、爆乳系監督の第一人者となる。