前にも書いたかもしれませんが、北海道の旭山動物園の復活劇はとても嬉しい。旭山動物園の番組を観るたびに目頭が熱くなる。
なにが嬉しいかって、地方の一動物園が上野を超えるくらいの人気を集めるという逆転勝利。行動展示という、日本ではあまりなかった動物の展示方法がある。動物たちの本能を刺激して、普段は寝姿しか見せることのない展示を少しでもイキイキさせることができる。お客さんは、動物の生態を感じられるので喜んだ。
旭山動物園というと、もう一つ有名なことがある。1967年、同動物園が開園したときにやってきた象の花子。元々タイで生まれ、京都の動物園に贈られたのが日本にやってくるきっかけだった。熱帯の象は北海道ではさぞかし寒かったでしょう。同年越冬中に「くる病」にかかってしまった。「展示」が出来なくなったと判断された花子は、安楽死させるべく北海道の標本会社に売却された。

当初は標本にして北海道大学に納めるつもりでいた標本会社の信田修治郎氏は、花子の病気を治してあげようと考えた。投薬治療や温泉での湯治を試すうちに、花子は次第に歩けるようになった。それがニュースで全国の話題になり、子供たちのアイドル的な存在になる。「象の花子の会」という全国組織もできた。
花子は何度も何度も死にかけたが、幾度もの手術を乗り越え、1980年、募金で集まったお金で信田氏とパラグアイに移住する。なぜタイではなくパラグアイだったのかは分かりません。そこで花子は生涯を閉じましたが、当地でも花子は人気者だったといいます。
そういう方たちに影響されたのではありませんが、動物の飼育は魅力的な仕事だと思う。けなげな存在に人生をかけるのはいいなあと思う。
さて自らのことですが、人間の子供たち、中学高校の教員免許を大学時代に取りました。しかし映像の仕事をしようと心に決めていたので、教員になることは考えませんでした。
教育や調教や飼育はAVに持ち越されました。女優さんをSMの撮影で調教したり、女優を発掘して育てたりするのは自分に合っていたのだと思います。次回は発掘した爆乳女優さんたちについて書こうと思います。
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