痴漢好きの女の子

女子校に通う普通の、でも胸だけは大きい女の子がいました。小学生の時から、エッチに興味があり、高校一年生(15歳)で当時付き合っていた20歳のリーマンに処女をあげました。その彼とは盛ったようにエッチしていました。

高校3年生になった頃、いつもの通学電車で痴漢に遭いました。怖くもありましたが、痴漢に興味もあったので、されるがままでいました。初体験以降、セックスへの興味は膨れ上がり、出会い系で知り合うのも含めて100人近くの経験をしていました。

痴漢は初めてでしたが、その男は終わると私の制服の胸ポケットに3000円を入れてくれました。そのお金もあり、「まあ、いいか」と思うようになりました。それから毎朝と言っていいほど、その男に痴漢されるようになったのです。そして必ず3000円を胸ポケットに入れてくれる。いつしか、毎日の決まり事のようになっていきました。

痴漢を受け入れるくらいですから、私はスケベでした。車内で濡れてしまい、指を挿れられることもしょっちゅうです。濡れたまま学校に行き、授業を抜けだしてはトイレでオナニーをしていました。

その頃、ネット掲示板にエロ写真を貼り付けるのが巷で流行っていました。私は、学校のトイレで濡れたアソコの写真を撮り、裏掲示板に匿名で載せるようになりました。みんなが興奮してくれると私も興奮しました。痴漢やネット掲示板。私はこっそり一人で愉しむオナニーが好きみたいです。

ある朝、いつもの通学電車で、5人の男に囲まれました。いつもの痴漢の他、4人は初めて見る男たちでした。5人に囲まれてるのは車内でも不自然だったと思います。乗客にはおそらく気づかれていたと思いますが、誰も注意も通報もしませんでした。その時の痴漢は凄かった。みんなに指を挿れられ、すごく興奮しました。最後はみな3000円をポケットに入れてくれます。リーダー格のいつもの痴漢が仕切っていたようです。

後日、いつもの痴漢に尋ねてみました。あの4人はなんだったのか。実は自分が作った痴漢のサイトがあり、そこできみは有名な女子高生だと。あの4人はそこの仲間ということでした。なんて書かれているのか怖くて、結局そのサイトを見ることはありませんでした。高校を卒業し、痴漢と会うこともなくなりました。

好きなセックスは、私を激しく欲しがってくれる人とするエッチです。自分に自信がないから強く求められたいんです。今でも痴漢は好きかもしれません。わざと混んでいる方に乗ってしまいます。

風俗を始めてからはエロくなくなりました。欲求不満になる前に疲れて寝ちゃいます。エッチが仕事になるとエロくなくなるんですね。でも風俗を辞めたら、きっとまたエロくなると思います。

こんなことを話すのは初めてです。誰にも言ったことがありません。こんな話、面白いですか?
お客さん、話だけで勃ってますね。こういう話を聞いてる方が好きなんだよ。その方が興奮する。なら良かったw

この記事を書いた人

A.T.のアバター A.T. 監督・プロデューサー

たかつき あきら 1982年中央大学文学部卒
宇宙企画の制作、ピンク映画の監督等を経て、制作会社4D(フォーディー)に入社し風俗情報AV等を制作。その後、共同経営でカンノン・シネマワークスを立ち上げリアルなエロを引き出す淫乱系ドキュメント派監督として知られる様になる。共同経営者が病気で倒れたため、シネマユニット・ガス(通称GAS)を設立。セルビデオ転換期に「爆乳」を主軸とした作品群をリリースし、爆乳系監督の第一人者となる。