ドキュメンタリー映画を観た3

アヒルの子

映画学校の生徒が卒業制作で作ったドキュメンタリー映画『アヒルの子』が劇場公開される。当時20歳の小野さやか監督自身の家族内におけるトラウマをテーマにしていて、監督自身が出演している。
http://ahiru-no-co.com/

小野監督が、実家や兄姉の生活圏内にカメラを引き連れて入ってくる。突撃してくるカメラに驚いたりするくらいのドキュメント。監督は、兄姉や親に今まで溜めこんだ想いをぶつける。

親には、「幼児の時、一年間ヤマギシ会に預けられたのを、捨てられたと思った。それから捨てられないように良い子になった。今まではおとなしく良い子でいたけど、もう厭。自分は家族の被害者」とぶつけ、兄には「子供の時に一度いたずらされたことがある。そのせいで現在も男性恐怖症が治らない」と、カメラを武器に相手を追い込んでいく。

プロデューサーは『ゆきゆきて神軍』の原一男。その過激さで、20歳の小野監督自身が奥崎謙三に見えてくる。想いをぶつけられる家族はいい迷惑だ。撮影され、家族の恥を公開されてしまうのだから。

第三者の観客からすると、家族を犠牲にしてまで、そのトラウマは映画にするほどのことなのか?と思う。映画などにはせずに、自ら克服できなかったのか。弱冠20歳の小野監督の子供じみた甘えは観客誰もが共有することだろう。

新藤兼人という大映画監督が、『人は誰でも一本は傑作を撮ることができる。いまの自分を描けばいいのだ』と言っている。まさしく、この作品はその言葉通り、いまの彼女自身をしっかり描いていて、彼女なりの真実があった。自分は涙が止まらなかった。20歳の女の子の真実だった。

試写で監督の挨拶を聞いた。

「この撮影の後に、家族、そして映画に向き合えない期間がありました。5年後の現在ようやく公開に踏み切れました」

いかにこの撮影が過酷だったか。家族の反対も当然あったことでしょう。表現の自由と言ったところで、自分の家族の恥を出していいのか。傷つく家族の人生の責任を自分はとることができるのか。単に自分のエゴではないのか。映画というのは、そんなに立派なものなのか・・・。

賛否わかれる映画でしょう。観ている間、境界線を行ったり来たり、いろいろな刺激を与えてくれる。そういう意味でいい映画です。

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この記事を書いた人

A.T.のアバター A.T. 監督・プロデューサー

たかつき あきら 1982年中央大学文学部卒
宇宙企画の制作、ピンク映画の監督等を経て、制作会社4D(フォーディー)に入社し風俗情報AV等を制作。その後、共同経営でカンノン・シネマワークスを立ち上げリアルなエロを引き出す淫乱系ドキュメント派監督として知られる様になる。共同経営者が病気で倒れたため、シネマユニット・ガス(通称GAS)を設立。セルビデオ転換期に「爆乳」を主軸とした作品群をリリースし、爆乳系監督の第一人者となる。