
映画学校の生徒が卒業制作で作ったドキュメンタリー映画『アヒルの子』が劇場公開される。当時20歳の小野さやか監督自身の家族内におけるトラウマをテーマにしていて、監督自身が出演している。
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小野監督が、実家や兄姉の生活圏内にカメラを引き連れて入ってくる。突撃してくるカメラに驚いたりするくらいのドキュメント。監督は、兄姉や親に今まで溜めこんだ想いをぶつける。
親には、「幼児の時、一年間ヤマギシ会に預けられたのを、捨てられたと思った。それから捨てられないように良い子になった。今まではおとなしく良い子でいたけど、もう厭。自分は家族の被害者」とぶつけ、兄には「子供の時に一度いたずらされたことがある。そのせいで現在も男性恐怖症が治らない」と、カメラを武器に相手を追い込んでいく。
プロデューサーは『ゆきゆきて神軍』の原一男。その過激さで、20歳の小野監督自身が奥崎謙三に見えてくる。想いをぶつけられる家族はいい迷惑だ。撮影され、家族の恥を公開されてしまうのだから。
第三者の観客からすると、家族を犠牲にしてまで、そのトラウマは映画にするほどのことなのか?と思う。映画などにはせずに、自ら克服できなかったのか。弱冠20歳の小野監督の子供じみた甘えは観客誰もが共有することだろう。
新藤兼人という大映画監督が、『人は誰でも一本は傑作を撮ることができる。いまの自分を描けばいいのだ』と言っている。まさしく、この作品はその言葉通り、いまの彼女自身をしっかり描いていて、彼女なりの真実があった。自分は涙が止まらなかった。20歳の女の子の真実だった。
試写で監督の挨拶を聞いた。
「この撮影の後に、家族、そして映画に向き合えない期間がありました。5年後の現在ようやく公開に踏み切れました」
いかにこの撮影が過酷だったか。家族の反対も当然あったことでしょう。表現の自由と言ったところで、自分の家族の恥を出していいのか。傷つく家族の人生の責任を自分はとることができるのか。単に自分のエゴではないのか。映画というのは、そんなに立派なものなのか・・・。
賛否わかれる映画でしょう。観ている間、境界線を行ったり来たり、いろいろな刺激を与えてくれる。そういう意味でいい映画です。
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