引っ越し

実は東京生まれである。地主から退去を言い渡され、実家の母はマンション住まいになることになった。私が生まれた年にできた家である。木造の家で隙間もでき、家の中では息も白くなる程寒い。もう46年たち、すっかりボロ屋である。ちょうどいい時期だった。母は結婚以来の引っ越しになる。

私は実家を出て別宅に妻と住んでいるが、実家には自分の部屋もあり、置いて来た物の整理をしなくてはならなくなった。いろんな物が出て来た。

アルバム、小学生の頃に集めていた蒸気機関車の写真や切手(どちらも当時流行っていた)、映画のチラシ、大学の映画研究会で作った8mm映画、GOROとかグラビア雑誌。これらは捨てられない。捨てたのは電車の模型(エッチョーゲージと呼ばれていた)、学研の科学の付録、大学の教科書、思い出にならなかった本などなど。

引っ越しが終わり何もなくなった家をビデオカメラで撮りにいった。風景ってすぐに忘れてしまうでしょう。毎日通っていても忘れてしまう、あれは何なんだろうね。

撮影したのは作品のためではなく、親戚や家族が集まった時にみんなに見せてあげるため。編集してそれぞれに想いでを分かちあってもらおうと思って。

感慨なんかないと思っていた。生まれ育った家は好きではなかった。しかし鍵を閉めて見上げると感慨が出てきた。よくここまで頑張ってくれた。一度も壊れることなく、風雨から家族を守ってくれたと感謝の気持ちが沸き上がった。家を建てた父にも、それを守り続けた母にも、それを実際に建ててくれた大工にも自然と感謝の気持ちになったのでした。

この記事を書いた人

A.T.のアバター A.T. 監督・プロデューサー

たかつき あきら 1982年中央大学文学部卒
宇宙企画の制作、ピンク映画の監督等を経て、制作会社4D(フォーディー)に入社し風俗情報AV等を制作。その後、共同経営でカンノン・シネマワークスを立ち上げリアルなエロを引き出す淫乱系ドキュメント派監督として知られる様になる。共同経営者が病気で倒れたため、シネマユニット・ガス(通称GAS)を設立。セルビデオ転換期に「爆乳」を主軸とした作品群をリリースし、爆乳系監督の第一人者となる。