雲仙からきた猫

いま家にいる猫は一匹。三毛でタマという。サザエさんの猫と同じ名前。
その猫は家に来て16年になる。

1990年、九州の雲仙普賢岳が噴火した。溶岩が多くの民家を飲み込んだ。多くの方が亡くなり、新聞やTVではそのニュースを毎日流し、被災した住民を写していた。しかし被災したのは人間だけではなかった。野良はもちろんのこと、一緒に暮らしていた犬や猫は逃げ遅れたり、あるいはやむを得ず捨てられたりした。

そんな動物たちを拾ってきては世話をするという動物愛護団体があるのを聞いて募金をしていた。
あるとき妻と旅行をかねて、そこに行ってみようかということになった。長崎空港でレンタカーを借りた。ナビなどない。ようやく辿り着いたのは噴火した雲仙の奥深く、「こんなところに人などいるわけないだろ」というような場所だった。犬の鳴く声でわかったのだった。

アポなしだった。施設の人は数人で、みんなテキパキと仕事をしていた。犬舎と猫舎に分けられ、去勢されたうえ喧嘩しないようなグループに分けられていた。

びっくりした。犬も猫も綺麗なのだ。失礼だが、山の奥深い人里離れた掘っ立て小屋である。そんな場所でちゃんと綺麗に洗ってあげてるのだ。そしてまた驚いたことに、犬猫にあげた缶詰の空き缶を水洗いして干しているのだ。アポなしで行ったのだから、いつもそうやってるということでしょう。動物に対する愛情や環境への配慮である。これを見ただけでこの団体のやっていることが想像できた。

褒められるために、あるいはお金のためにやっているのではないのです。本当に可哀想な動物のことだけ考えてるのです。誇りの高さを感じた。この人たちに感動した。募金して本当に良かったと思った。

その施設で甘えん坊の猫がいた。お兄さんやお姉さんのあとをニャーニャー鳴きながらついてまわる猫。作業するのに邪魔だろうなと思い、その猫をもらって帰ることにした。それがタマである。

現在も甘えん坊は変わらず、人のあとをついてまわっている。
ちなみに現在もまだその動物愛護団体は活動しているという。こういう人たちに勲章をあげてほしいものだ。

この記事を書いた人

A.T.のアバター A.T. 監督・プロデューサー

たかつき あきら 1982年中央大学文学部卒
宇宙企画の制作、ピンク映画の監督等を経て、制作会社4D(フォーディー)に入社し風俗情報AV等を制作。その後、共同経営でカンノン・シネマワークスを立ち上げリアルなエロを引き出す淫乱系ドキュメント派監督として知られる様になる。共同経営者が病気で倒れたため、シネマユニット・ガス(通称GAS)を設立。セルビデオ転換期に「爆乳」を主軸とした作品群をリリースし、爆乳系監督の第一人者となる。